【黒歴史】高学歴帰国子女の黒歴史から分かる高いプライドのデメリットと直し方

今日の記事は、以下のどれかに当てはまる人には特に読んでもらいたいです。

  • プライドが高い人
  • 学歴主義や知識厨の人
  • 自分の子供を帰国子女にすることを考えている人
  • 自分、又は自分の子供が海外の学校に通っている人

煽り投稿

質問箱に初めて煽りっぽい投稿を頂きました(笑)

  先日書いた下記の記事で、南アフリカ共和国最大の都市ヨハネスブルグを誤って「首都」だと記載してしまったところ、上記の煽り投稿を頂きました。

  一見すると人を小バカにした感じの煽り投稿ですが、私にとっては間違いのご指摘に加えてブログのネタまで提供してくれた神投稿なので、割とマジで感謝しています(笑) おそらく投稿してくれた人の意に沿わない反応になってしまいましたが、世の中には煽られてイラつく人もいれば、うまく利用する人もいるという事です。

「知的装ってるけど、そうでもないんですね。笑」

  まさしくご指摘の通りです。私は知的な人間に憧れているし、そうなりたいとずっと前から思っていますが、自分が現状そうでない事と、そのために充分な努力をしているわけでもない事は自覚しています。

  私が知的な人間に憧れるようになったのは、小学校5年生の時に英語ができない状態でアメリカに行ったことが関連しているので今日はその時の経験について書きます。

帰国子女、学校初日から毎日が地獄

  プロフィールに書いてある通り私は帰国子女です。小学校5年生の時に父親の仕事の転勤によりアメリカ合衆国のヒューストンに移住しました。まだ中学1年生の英語の授業すら受けていなかった私は英語が全くできない状態でした。

  日本の学生が言うような、「授業で一応英語を習ったけど、大して使わないし結局英語ができない」状態ではなく、「中学校の英語の授業すら受けていない状態」でアメリカに行きました。英語で書かれていることや言われることが「たった5%」さえ分からない。

  だから最初は悲惨で、学校は地獄でした。アメリカの学校の初日の事はとてもよく覚えています。授業1コマの45分間、本当に何1つ分からないのですから、何もせず、ただずっと座ってじっとしていなければいけません。ただただ暇でものすごく退屈でした。授業が終わったら教室を移動して、また次の45分間をじっとしていなければなりませんでした。それが終わったらまた教室を移動して、更に45分間じっとしていなければいけない。
  3回目の45分間を耐えきるとどうなると思いますか?そうです、4回目の45分間の我慢が始まります。

  4回目の45分が終わると、やっと昼食+リセス(recess)という校庭で遊べる時間でした。休み時間とはいっても、話す相手も遊ぶ相手もいません

  昼食+リセスが終わると、5回目の45分間の授業が始まります。慣れると思いますか?慣れませんよ。紙に絵を書くぐらいしかやる事がありません(絵を書くのが特に好きなわけではありません)。5回目の45分の授業が終わると、6回目の45分の授業が始まります。

   6回目の45分間が終わるとようやく家に帰れます。やっとです。おめでとう!それじゃまた明日も頑張って!

  これが毎日続きます。こうして改めて書き出してみると、自分でも思いますが苦痛過ぎてやばくないですか?

  「体育の授業はないのか」ですか? はい、1日おきに1コマだけありましたよ。

  そして、アメリカの学校に英語ができないアジア人がいるのですよ(アメリカ人の小学生から見れば、日本人や中国人やベトナム人の違いなどどうでもよいので「アジア人」というくくりになる)。やんちゃな小学生はそんなアジア人を見てからかったり、馬鹿にしてきたり、嫌がらせをしたりしてくるわけです
  ただでさえ死ぬほど退屈なのに、スキマ時間さえあれば私に嫌がらせをすることを目的とした蚊のようなやつらがやってくるわけです。相手が何を言っているのかは全く分かりませんでしたが、こちらを馬鹿にしていることは分かるし、ゴミを投げつけられたり、順番待ちで列を抜かされたりすることもありました。

  強気な人だったら嫌がらせに反発したり、社交的な人なら英語ができなくても積極的に友達を作ったのでしょうが…私は内向的で、おとなしくて、泣き虫だったので強気に出ることはできなかったし、ずっと友達作りに苦労しました。

  内向的でおとなしい泣き虫の人が学校に行って、言われていることも書かれていることも何1つ分からず、45分×6コマ=4時間30分の授業中ずっと座っていなければいけなくて、調子に乗った生徒からの嫌がらせを受ける。これを毎日繰り返す。

  どんな気持ちになるか想像できますか?

  もしあなたが私の立場だったらどんな気持ちになりますか?

  こういう背景があったので、私の場合は鬱(うつ)になる事を避けるために、「自分は英語が分からないだけで、決して周りの人に劣っているわけではない」と自分に強く言い聞かせていました。意識してそうなったのではなく、無意識の内に、気付いたらそうなっていました
  おそらくこの事が理由でプライドが高くなりました。だから私は天才に憧れたし、中学生の頃は自分が生きている内に歴史の教科書に載りたいとも思っていました。

高いプライドを持つ弊害

  しかし、私に限らず実力が無い人がプライドを高く持つと、理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しめられることになります。このギャップの埋め方は人それぞれです。例えば勉強であれば、少しでも現実を理想に近付けようと猛勉強して、ビックリするほどの秀才になることが理想的なのかも分かりません。

  ですが、世の中はそんな絵に書いたようにうまくいく人ばかりではありません。プライドが高いのに勉強に挫折してしまい、その事を恥だと感じて学校に行けなくなってしまう人(漫画「ローゼンメイデン」の主人公のジュン君はまさにこれですね)、何もしていないのに「自分は特別である」と思い込んで勘違いしたナルシストになってうざがられる人などが実際に多くいるようです。

  私の場合は、自分が変わるかわりに現実を歪めて視ていました。他の生徒の事も先生の事も軽く見るようになったのです。自分は英語ができないし、気弱だし、周りからバカにされることも多かった。けれども、私は言葉ができないだけでとても能力が高い。その気になればすごい人間である。そのように歪んだ思い込みを持つことで、それ以外の部分に関しては精神を正常に保ったわけです。
  言葉通じない上に他人を軽視する生徒だったので、なかなか友達ができませんでした。私は上述した、「何もしていないのに『自分は特別である』と思い込んで勘違いしたナルシストになってうざがられる人」だったのです。でも、現実を歪めて見ていたおかげで不登校になることなく学校に通い続けられたのですから、当時の私には必要な思い込みだったのです。
  大学生の頃にようやく、「自分が他人を見下している事」を自覚できるようになりました。しかし、直し方が分からなくて苦悶した上に、まだ現実を歪曲して視ていました。

  こういう背景があったので現実をなかなか直視できず、その代償としてビジネスや人間関係で多くの失敗をしました。ビジネスではリスクや問題点を歪めて視てしまうと適切な対処ができないし、人間関係では相手のことを理解できないからです。
  沢山の失敗を経て、今では現実を歪めそうになると気付いてやめられるようになりました。また、人が現実を歪めて視ているとそれがよく分かるようになりました。
  そして自分の無力さを自覚したことで、他人を見下さずに素直に人を認められるようになりました。無力な自分を受け入れられれば、「自分は優れている」と自分に言いきかせるために人を見下す必要がなくなるからです。

  今回の投稿で、「知的装ってるけど、そうでもないんですね。笑」と言われてしまいましたが、「その通りですね」としか言えません(笑)
  私は大卒ですが、小5〜高校卒業までの期間は学校の教科書をほとんど読まなかったし、受験勉強は国語と小論文と英語(と面接)しかしていません。普通であれば中学と高校で習うはずの知識は数学の基礎と漢字ぐらいしか知りません。下の記事の通り、17歳の時点で「飲食」や「預金」を漢字で書けなかったのです。

  頭で記憶しなくてもグーグル検索すればほとんどの情報が出てくる時代ですから、何でも記憶しようとは思っていません。しかし、記憶しておいた方が良いこと、検索では分からないこと、検索で得られる表面的な知識だけでは不十分なことが世の中には沢山あります。だから、理想的に生きるために必要な知識や知恵、経験や技能から優先して会得しようと毎日頑張っています。

高いプライドの直し方

  プライドが高いことは悪いことではないです。プライドが高いからこそ出来ること、目指せることが沢山あります。しかし、プライドが高い人がやりがちなことで、私自身もやっていたような現実を歪めて見ることはトラブルの原因になるので避けるべきです。

  プライドが高い人間が、自分の無力さを自覚するのはとても辛いことです。自分の無力さを自覚することとは、自分を過小評価したり、卑下したりすることではありません。例えば、英語の勉強をしていない人は英語ができなくて当たり前です。英語の勉強をしなかった結果である「英語ができない私」を受け入れることが自分の無力さを自覚することです。着飾っていない「ありのままの自分を受け入れること」とも言えます。

  理想とは違うかもしれませんが、今の自分をそのまま受け入れられれば、やる気・モチベーションが湧いてきます。現実を歪めて自分に満足してしまっていたら、既に満足しているのでやる気が起きません。「自分はまだ足りない、もっと出来るようになりたい」という不足感こそが強いやる気・モチベーションになります

  また、自分の無力さを自覚すればするほど人を見下さなくなり、他人を心から尊敬できるようになります。自分のできない部分を受け入れるからこそ、他人ができる部分への敬意が生まれるのです。また、現実を歪めずに直視できるようになるので、自分の気持ちに正直になったり、他人の気持ちを推し量ったりする能力も上がります
  ビジネスであればリスクや問題点を適切に評価し、正面から懸念点と向き合うことができるようになります。

  この記事を書くことは、私にとって過去の私と現在の私を受け入れ、現実を直視する一助になっています。だから冒頭で書いた通り、煽り文章を投稿してもらえて嫌味でなく本当に感謝しています。

南アフリカ共和国の首都について

  最後になりますが、冒頭で画像を載せた通り、「南アフリカ共和国の首都はプレトリアであり、ケープタウンと言ってしまうのは基本的な誤りである」というご指摘を頂きました。反省して調べてみたところ、面白いことが分かりました

  南アフリカ共和国には首都が3つあります。ご指摘頂いたプレトリアに加え、ケープタウン、そしてブルームフォンテーンという都市も加えた3つの都市全てが首都です。

 

  国の首都が3つもあるなんてビックリですね。情報源がグーグルの検索結果とウィキペディアだけだと信憑性に欠けるので、念の為に南アフリカ共和国の政府のホームページも確認しました。ちゃんと3都市とも首都として掲載されていました。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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